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田辺城

丹後田辺城ガイド!京都田辺にある田辺城を写真付きで詳しく紹介します!田辺城は細川藤孝(幽斉)が、丹後支配の本拠とすべく築城したのがはじまりといわれ、田辺城は明治7年に廃城しました。田辺城は関ヶ原の戦いの前に、石田三成方と、わずか500程度の兵で籠城し、50日余りを戦い抜き、「古今伝授」の縁で勅命によって開城したことで有名なお城です。
 


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トイレ有り 自動販売機有り 駐車場有り 雨の日でも可能 予算(サンプル 大人2人+小学生2人の家族の場合) =無料!

 丹後田辺城 Guide!

丹後田辺城

丹後田辺城全景   田辺城は、丹後の守護であった一色氏を滅ぼした功績として織田信長から丹後の国をあてがわれた細川藤孝(幽斉)が築城したお城です。


1508年に子の忠興とともに丹後支配の本拠とすべく築城したのがはじまりといわれ、田辺城は明治7年に廃城しています。

田辺城は本丸を二の丸、三の丸、外曲輪とそれぞれの堀が囲む輪郭式の平城でした。

田辺城は慶長5年の関ヶ原の戦いの前に、石田三成方の大軍に攻められた藤孝(幽斉)が、わずか500程度の兵で田辺城に籠城し、50日余りを戦い抜き、「古今伝授」の縁で勅命によって開城したことでも有名なお城です。


細川幽斉は実の父が室町幕府第十二代将軍の足利義晴ではないかとも言われていて、将軍家や公家と大変親密な関係にあったそうです。その中でも、三条西公枝から歌道の奥義を許された「古今和歌集」の秘事口伝の伝承者(古今伝授)であり、その廃絶を後陽成天皇が憂慮されたことが、籠城の際の勅命につながったと言われています。




細川藤孝(幽斉)の籠城戦は、援軍の見込みもなく、約1ケ月半ほどで落城寸前にまで追い込まれたそうです。


しかし、田辺城落城に参加していた石田軍の諸将の中には、幽斉を歌道の師として崇拝する者が多数参加していたそうで、籠城の最後の方には城を攻め落とすことに躊躇する武将が出ていました。


落城寸前になる頃、歌道の達人である幽斉の討死を憂慮した後陽成天皇からの勅命が届けられます。天皇の勅命であった為、石田軍は包囲を解き、およそ1か月半にわたる籠城が幕を下ろしたそうです。



田辺城本丸檜門   現在、田辺城の本丸付近は「舞鶴公園」として整備されています。本丸跡に模擬櫓や本丸櫓門が復興されているのみです。

復興された本丸櫓門は、総高さが12m、幅は4.8m、門高4.1mで、左右の塀の長さはそれぞれ約30mあります。

この本丸櫓門は、京極氏時代でも牧野氏時代でもなく、あえて城郭史料が少ない最初の城主・細川氏時代のものに再現にしてあるそうです。櫓門の北、本丸跡西北隅には、昭和15年に復興された「彰古館」と名付けられた模擬櫓も建っています。



舞鶴市田辺城資料館   平成4年に復元された本丸櫓門ですが、内部2階は無料で入館出来る「田辺城資料館」になっています。

田辺城資料館は、田辺藩や細川家、京極家、牧野家の歴代の城主にまつわる数々の展示がされています。



田辺城資料館に入った所には丹後の領主であった細川幽斎の座像が出迎えています。

舞鶴の歴史を深く知りたいのなら、田辺城資料館に寄ってみるのもいいかもしれません。
  田辺城庭園



田辺城まつり   京都府舞鶴市の西舞鶴地区では、城下町の歴史をしのぶ「田辺城まつり」が催されています。田辺城まつりの開催日は毎年5月下旬頃です。

田辺城まつりは1992年の城門再建を機に始まった祭りで、鎧兜に身を包んだ武者や鉄砲隊など総勢約500人の武者行列が勇ましく勝ちどきを上げながら商店街を行進します。

田辺城まつりでは、かわいらしい子ども武者らも加わって、沿道から盛んな喝采を浴びています。


イベントによって事前に予約が必要な場合があります。
内容等が変更されている場合がありますので、詳しい情報は直接お問い合わせください。
 



丹後田辺城 Yo Check!

丹後田辺城へのアクセス入城料金

所在地

京都府舞鶴市字南田辺15−22 (地図
電話 0773−76−7211 舞鶴市田辺城資料館

アクセス

JR西舞鶴駅から京都交通バス「本町」下車
車なら、舞鶴道西舞鶴ICから国道27号線経由
入城料金 無料
営業時間 9:00〜17:00
定休日 月曜日、祝日の翌日、12月28日〜1月3日まで

駐車場

有り 6台 無料
満車の場合は舞鶴市営駐車場(有料)を利用出来ます。



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